鍼灸マッサージ治療院T-1コンディショニング

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私が開院した理由

  • 学生時代

    田口 裕之

    今でこそ人さまに呼吸や姿勢、身体の使い方などを指導させていただいていますが、幼少期の私は一言で言うと鈍臭い子でした 苦笑。。

    身体を動かすことは嫌いではなかったのですが、速く走れない、ボールを遠くに投げられない、ボールを遠くに蹴れない。そんな幼少期でした。

    小学生の頃なんかは特に運動ができる子が目立ちますよね。そういう意味で当時、運動が苦手ということは自分の中ではかなりのコンプレックスでした。

    そんな中で幼稚園の頃から続けていた水泳だけは小学校内でもまあまあの位置にいました。

    スイミングスクールは大嫌いで、幼い頃は泣きながら続けていた水泳でしたが、ある日『水中で息を吐き、息継ぎでちょっと吸う。』一見当たり前のように見えるこの呼吸法を覚えてからはほとんど疲れずに泳ぐことができるようになり、小学校高学年のころには周りの子たちよりは少し速く泳げる子になっていました。運動がコンプレックスだった私にとってこれは嬉しかったです。

    「認められたい」

    どこかで常々そう思っていましたから、水泳が唯一その欲求を満たしてくれるものでした。

    「認められたい」そんな欲求を水泳で満たすことができた私は、中学校に入り迷わず水泳部に入部しました。運良く私が進んだ中学校は水泳部が盛んで、全国大会や関東大会の常連校でした。

    そんな恵まれた環境の中で熱心な先生の指導の元、私の実力はぐんぐん伸び、中学三年生の夏には関東大会にまで出場するほどになりました。

    この頃も無意識に疲れない呼吸法を使っていました。おかげで水泳だけでなく持久走も学内ではそこそこの成績でした。この頃の経験は間違いなく今の呼吸を重視する治療に反映されていますね。

    こうして着々と「認められたい」欲を満たしていった私は、高校と大学でも迷うことなく水泳部に入部し、どちらも主将をつとめさせてもらいました。

    ただこの頃からなんとなく気づいてきました。そこそこ速く泳ぐことはできるけど、まだまだ上には上がいて全国大会に出るような奴とは圧倒的な差があるということに。

    結局学生時代を通して水泳で一番になることはできませんでしたが、それでもここまで自分の認められたい欲を満たしてくれた水泳は大好きでした。

  • インストラクター時代


    1997年、大学を卒業した私は社会に出てからも誰かに認めてもらいたかったのでしょう。

    やはり得意な水泳を生かす職業に就きたいと、大学4年間フィットネスクラブでインストラクターのアルバイトをしていたこともあり、フィットネス業界大手のセントラルスポーツ(株)に入社しました。

    しかしここでは、人生初の挫折を味わうことになります。今まで認められたい一心でやりたいことしかやってこなかったツケが回ってきたのでしょう。

    『営業目標の達成』、『集客のノルマ』、『シフトの管理』など、社会に出て用意されていた仕事ははじめて経験するものばかりで苦しく当時の私にとって大きなストレスでした。

    174cm62kg。もともと細身だった身体は更に痩せ、5キロ以上体重が落ちました。そして現役時代はいくら泳いでも大丈夫だった肌が、プールに入ることで塩素アレルギーを起こし、軽いアトピー症状まで出始めました。

    「あと何年続けよう」「辞める時は親になんて言おう」「でも辞める勇気もない…」

    最悪なことに入社当初からこんなことばかりを考えながら仕事をしていました。今思えば甘ったれてますよねー。これでは良い仕事なんてできるはずありませんよね。

    そんな中でも水泳やトレーニングの指導をさせていただくのは大好きな仕事でした。水泳やトレーニングなどを通じて人の動きを見させていただくうちに、次第に身体の痛みというものに興味がわいてきました。

    「痛みがあることで正しい姿勢や動作ができない。」「痛みを取るにはどうしたら良いのだろう?」「鍼が良いらしい。」

    という話を聞き、この頃から「鍼灸師になりたい」という思いがチラつき始めました。ちなみにこのとき考えていた痛みの除去と動作や姿勢の改善は、学生時代に感じていた呼吸法と併せ、今の私の施術の原点になるものでした。

  • 専門学校時代

    今思えば、会社を辞めて専門学校に入ったのも「認められたい」一心だったんだと思います。

    鍼灸師になるという新しい目標を見つけた私は、4年間勤めた会社を退職し湘南医療福祉専門学校に入学しました。

    学校に行きながらマッサージ屋や接骨院でアルバイトをし、経験を積みました。新しいことにチャレンジすることが苦手だった私ですが、人のカラダについて学ぶことは心底楽しく感じました。

    あっという間に3年間の学校生活を終え国家資格を取得しました。

    世間の皆さまは「国家資格を取得しさえすれば大手を振って開業するものだろう」とお考えの方もいらっしゃるかもしれません。もちろん開業する資格はありますし即開業する者もいることはいます。しかし当時の私はとてもではありませんが、学校で学びアルバイトで積んだ経験だけでは開業しても患者さんをうまく治せないだろうと感じていました。

    というのも専門学校在学中にこんな経験があったからです。

    専門学校2年生のとき、水泳出身の私は当然ながら水泳のトレーナー活動をしたいと考え調べた結果、「日本水泳トレーナー会議」という団体に行きつきました。その団体に所属すると日本代表選手や日本選手権レベルの選手のケアができるのです。

    ちょうどそんなとき、ある恩師の計らいで「日本水泳トレーナー会議に籍を置ける」というありがたいお話をいただきました。学生の身であるということで「準会員」という扱いで所属させていただくことになりました。

    所属させていただいてすぐに日本選手権の会場で出場選手のケアをさせていただくことになりました。ケアを担当するのは私の他に理学療法士の先生が一緒でした。衝撃を受けたのはその先生の「カラダの評価力」 でした。

    選手の症状を聞き、動作や筋力の評価をし、適切なケア・動作の指導など完璧な評価のもと完璧なケアを行っていたのです。当時の私はせいぜい狙った筋肉をほぐすぐらいのことしかできなかったので、この出来事は衝撃的でした。同時に「自分の求めていたのはこれだ!」 という思いが強く芽生えました。

    そんな経験があり「完璧な施術をするためにはまず完璧な評価力を身につけなければならない」という考えに至りました。そんな考えのもと卒業後の就職先を探しましたが、これが中々そんなことを学ばせてくれるところはありません。

    考えてみれば当然なんです。そもそもそんな完璧な評価や施術ができる先生自体がこの世界にはほとんどいないのですから 苦笑。

    そんな現実を知れば知るほど「それを目指したい!」という気持ちが強くなり、半分意地になって就職先を探しました。在学中からそんな職場を探し始め、気付けば学校を卒業し5月になっていました。当然周りの同級生は就職が決まり、すでに働き始め、私はどんどん焦りを感じてきました。

    そんな中、偶然にも私は師と呼べる先生に出会うことができました。この先生は上述した評価も技術も完璧でした。

  • 修行時代


    苦労して就職先、そして師匠を見つけた私はこの先生のもと、まずは技術を学びました。しかしこの技術が、今までマッサージ屋や整骨院で学んできたものとは全く違うもので、容易に身につけることのできないものでした。

    当初は中々身につけることができず、師匠には怒られ、患者さんからクレームをいただくこともあり、苦しい日々が続きました。先生も中々覚えられない私にさぞかしイライラされたと思います 笑。

    そんな苦しさの中でも目標がしっかりしていたので、どこか楽しさや充実感を感じていました。徐々に先生に教わったことが身に着き始め同時に自信も湧いてきました。

    またこの師匠からは、「精神」や「心」をみることが時に身体をみること以上に重要である、ということを教えていただきました。そして「認められたい」という自分の欲求だけでは患者さんを治すことはできない、ということにも気づかせていただきました。

    「認められたい」というのは自分の欲求でしかなく、相手を置き去りにしてしまっている。治療というものはいかに相手と同調するか。そこに自分の主張だけ押し出してもうまくいくはずがありません。相手と同調し、相手の身体を感じ、相手を認めることで自分で自分を認める。

    その結果として人に認められるかどうかはわかりません。ただ大事なのは、他人にどう認められるか、どう評価されるかではなく、相手を良くするために自分がどう在るべきか。「今」、「ここに」自分がいるかどうか。

    幼少時から大学まで続けていた水泳や、苦しい思いをした仕事を通じてなかなか気づけなかったことに、患者さんや師匠が気づかせてくれました。

    この先生のもとで5年間学び、ようやく自分の目指す形が出来上がってきました。自信もつきました。

  • そして独立へ


    独立への自信をつけた私は2009年3月2日、地元日吉にて『鍼灸整体マッサージ治療院T-1コンディショニング』を開業しました。開業後は苦労も多いですが充実しています。

    「認められたい」という自分の欲求ばかりを求めていた甘ったれな私が、好きなことしかやってこなかった中途半端な私が、今日に至るのは多くの人との出会いに恵まれたからだと思っています。

    患者の皆さま方をはじめ恩師、家族、仲間、友人。本当に多くの方たちに支えられここまでやって来られました。皆さまに感謝の気持ちを忘れず、更に高いレベルまで上がろうと思っています。

    話は変わりますが、実は今開院している場所は大好きだった祖母が昔住んでいた所でもあります。その頃小学生だった私に、祖母が良く言ってくれた言葉があります。「何かで一番になりなさい」。そんな祖母の思いに応えたく、T-1(ティーワン)という屋号をつけました。

    目指すはT-1の名に恥じない、ナンバー1の治療家です!皆さま何卒ご指導ご鞭撻、叱咤激励のほどこれからもよろしくお願いいたします。

    最後までお読みいただきありがとうございました。